毎週の説教メッセージ

off 神からのキリスト

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説教:加藤 久幸 牧師

ルカによる福音書9:18-27

21-22節、「イエスは 弟子たちを戒め、このことをだれにも話さないように命じて、次のように言われた。『人の子は 必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日目に復活することになっている」。この21節と22節の文体は結びついており、ルカ福音書における、イエスの沈黙命令はイエスの「受難」と結びついているようであります。その一方、マルコやマタイでは、イエスの受難予告の後、ペトロとイエスの厳しいやりとりがありますが、ルカにはその場面はありません。各々の福音書の伝え方に違いはあるのですが、いずれも、キリスト(救い主)が苦難を受けることを、群衆も弟子たちも想像できなかったことを伝えています。23節、「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」(23)。ルカだけが「日々」という言葉を付け加えています。その意図は、イエスに従うことを、特別の死・殉教から、日々の犠牲へと、強調点を移しているからでしょう。27節にもルカの独特の伝え方があります。マルコ(9:1)やマタイ(16:28)は、神の国は終末・将来において「現れる」「来る」と伝えますが、ルカは「神の国を見る」という言い方をします。ルカにとって、神の国は、イエスという存在や働きにおいて現存し、神の目的が完成する未来においても存在します。従う者には、前触れとして、見ることができるのでしょう。

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