毎週の説教メッセージ

off 生きるのも死ぬのも主のため

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説教:髙桑 義雄 牧師

ローマの信徒への手紙14:7-12

私たちはどのように生きるのか、私たちは一生このことを考え続けて生きています。私たち信仰者には、自分のために生き死にするのではなくキリストのために生き死にする道が与えられました。私たちはキリストによって救われたことを知るとき、自分のために生きることが罪であることを知ります。これは死から生へ、望みのない生活から喜びの生活への方向転換です。私たちは主によって召されており、生きているときも死のときも、全てが主のみ手の中にあります。私たちの生涯は自分のもののようですが、自分で動かすことのできないことに支配されており、ここに神の意志があります。キリストによって生かされているということは、キリストによって裁かれているということでもあり、私たちは最後には神の裁きの前に立たされます。私たちは他者を裁くことなく真の裁きをキリストに委ねなければなりません。そして自分を高ぶらせることなく、主の前に「生き」「死ぬ」ことができる信仰者でなければなりません。これは簡単なことではありませんが、キリストが血を流して私たちのために身を捧げて下さったことによって与えられるのです。

神が生きて働いてくださっていることにより、私たちには喜んで主のために生きる道が与えられました。私たちは主の前に罪の悔い改めによる砕けた魂を最も重要な備えものとして捧げたいと思います。そして生きるのも死ぬのも主のために礼拝を守り賛美を共にして歩んでいきたいと思います。

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