毎週の説教メッセージ

off 聞いて、行う人

tokorozawa-mikuni to 未分類  

説教:加藤 久幸 牧師

ヤコブの手紙1:19-27

怒りは現実を変革するエネルギーも秘めていますが、「諦め」や「甘受」や「制御不能」に陥る力も秘めています。それ故、今日の聖書は、「御言葉に生きなさい」と勧めます。そして、「この御言葉は、あなたがたの魂を救うことができます」(21)と教え、「御言葉を行う人になりなさい」(22)と勧めます。21節では「心に植え付けられた御言葉」という言葉が使われていましたが、22-23節の文脈で言えば、「御言葉を行う人」(22)、「植え付けられた御言葉」(23)が実を結ぶようになることと、言えるでしょうか。 23-24節では、「聞くだけで行わない者」(23)が、「鏡に映った自分の姿を…すぐに忘れてしまう人」(24)に、喩えられています。この喩えは、必ずしも成功しているようには思えません。例えば、古代の鏡が磨かかれた金属であり、写りが悪かったと考えられますが、それにしても「すぐに忘れてしまう」ような事態があるのか、など。さらに、喩えは、鏡が「自由をもたらす完全な律法」(25)であることへと変化することも、わかりづらいものになっている気がします。しかし、この喩えは、視覚的により優れた環境にある、現代の私たちにも警鐘を鳴らしているかのようです。

今日の聖書は、体全体で、「聞いて…行う人」(25)が、御言葉を生きることであり、自由をもたらし、神の恵みに生きることと、示されています。私たちも、神の恵みを「一心に見つめ、これを守」り、「行う」者でありたい(25)と、願うものです。

 

 

Comments are closed.