毎週の説教メッセージ

off “霊”が語らせるままに

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説教:加藤 久幸 牧師

使徒言行録2:1-11

私たちは、繰り返し、今日の物語に聞き、そして、新たに出発します。私は、この物語に触れる度に、この出来事に最初に巻き込まれた人々は、何を語ったのだろうと、想像します。しかし、物語では、「何を」ということは明確には語られていませんが、「何が起ったのか」ということは語られています。この物語は、「神の偉大な業」(11)は、言語も、民族も、宗教も、越えていくと、示しています…。その出発点は、家の中にいた「一同」であります。イエスの去った後(1:9)、イエスの弟子たちは、この時を、閉ざされた場所で、慣習に従って過ごしていたのかもしれません…。しかし、彼らは、新しい世界へ飛び出すことになります(1:8)。“霊”は、人々を動かし、世界を打開していきます。その風は、熱を帯びており、「分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに…話しだした」(3-4)のです。弟子たちも、イエスの弟子という「同質性」にとどまっていたかもしれません。しかし、霊を受けて、彼らの一人一人の歩みが始まります。それでいて、その歩みは、各々の考えや歩みではなく、「“霊”の語らせるままに」(4)、すなわち「聖霊の導くままに」一つとされる歩みでもありました。現代の私たちも、既得権益のように受けとめてしまう慣習や恵みから新たにされて、この世界の中での「神の偉大な業」、“霊”が語っていることに、身を委ねるものでありたいと、願っています。

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