毎週の説教メッセージ

off 渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい

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説教:加藤 輝勢子 牧師

ヨハネ福音書7:32-39

「メシアが来られても、この人よりも多くのしるしをなさるだろうか」(31)という群衆の声を聞いて、祭司長やファリサイ派の人々はイエスを捕らえようと下役を遣わした。時は仮庵祭が盛大に祝われる終わりの日にイエスは大声で「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる」(37-38)と言います。イエスとサマリアの女とのやり取りで「わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る」(4:14)を想起させます。私たちは自分の魂の渇きを自分自身の努力によって解決することはできません。しかし、イエスは「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい」と私たちの渇きを潤してくれることを約束されます。イエスとの出会いによって、私たちは生きた水を飲むことができるのです。その生きた水とは「聖霊」です。その聖霊は私たちを「導いて真理をことごとく悟らせる」(16:13)のです。「渇いている人」がイエスから呼び出されています。イエスはいっときの水を提供するだけでなく、「その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる」(38)と言います。イエスは天に昇り、この地を去ります。イエスの命の水に与った私たちは、その渇きを癒さるだけではなく、その人の内から「生きた水が川となって流れ出る」という使命を指し示されています。そのような歩みをしましょう。

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