説教:加藤 久幸 牧師
ローマの信徒への手紙10:5-17
5節でパウロは、律法が神の恵み・神への信頼への呼び覚ますものであったが、ユダヤ人は律法を人間の行い・人間への信頼を呼び覚ますものとしたと、ほのめかしているようです…。そして、旧約以来、変わらぬ神は、神の恵み・神への信頼を呼び覚ます方として、キリストをお遣わしになった…。それは、信仰者が自分たちの努力によって知るというより、私たちの近くに来てくださる神の恵み・備えを表しています…。6-8節は、神の近さ・キリストの臨在を表現し、それを信じる「信仰の義について」表しています(申命記30:11-14参照)。パウロは、これらを旧約聖書から聞くことを通して明らかにし、「これは、私たちが宣べ伝えている信仰の言葉なのです」(8)と、語っています。9-10節でパウロは、「口でイエスは主であると公に言い表し、心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じるなら、あなたは救われるからです」(申命記30:14参照)と語り、ここでも旧約聖書の預言とキリストの出来事を結びつけています。そして15節、「聖書にも、『神を信じる者は、だれも失望することがない』(イザヤ書28:16参照)と書いてあります」と語り、「ユダヤ人とギリシア人の区別はなく、すべての人に同じ主がおられ、御自分を呼び求めるすべての人を豊かにお恵みになる」(12)方であり、13節「主の名を呼び求める者はだれでも救われる」(ヨエル書3:5参照)と、宣べ伝えます。パウロは[旧約]聖書を通して「信仰は聞くことにより始まる」(17)と、真剣に宣べ伝えています。
それ故、旧約聖書に示される神は、「ユダヤ人とギリシア人の区別はなく、すべての人に同じ主がおられ、御自分を呼び求めるすべての人を豊かにお恵みになる」(12)方であり、13節「主の名を呼び求める者はだれでも救われる」(ヨエル書3:5参照)のです。パウロは、自らが信頼できる神であることを[旧約]聖書が語っていると、宣べるのです。