毎週の説教メッセージ

off 主の復活の証人となるべき

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説教:加藤 久幸 牧師

使徒言行録1:15-26

1:14は、それまでのユダヤ教の枠組みを越える、新しい何かが始まっていくことを予感させます。イエスが12弟子を選ばれたのは、イスラエルの12の部族に弟子を遣わすという意味があったと、言われます。15節に「120人ほどの人々」とあるのは、恐らく象徴的な意味で用いられているのでしょうが、その背景には、共同体(教会)をきちんと運営していく備えがあり、この共同体は「使徒」を選ぶことから始めます。しかも、「裏切り」のユダについて、かつて「見捨てた」ペトロが語ることから始まるのは、印象深い。そして、共同体は、「使徒」の定義を「主イエスが…洗礼の時から…天に上げられた日まで、いつも一緒にいた者の中からだれか」(22)と、定めます。その結果、ヨセフとマティアが候補に立てられました(22)。人々は…「すべての人の心をご存じである主よ、この二人のうちのどちらをお選びになったかを、お示しください」(24)と、祈りました。「事を定めるのは主」であると、最初の共同体は、神の事柄を待ち、祈り、備えました。新しい共同体(教会)は、「新しいイスラエル」に仕えることが、使命でした。そして、新しく立てられる「使徒」は、「主の復活の証人となるべき」(22)と示されます。それは、人の思いではなく、様々なことがあったであろう最初の共同体(教会)――ユダやペテロなどの経験――に、主が臨まれたという事柄であったと思います。私たちも、神が臨んでくださるという信仰・謙虚さに生きるものでありたい。

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