説教:岩河 敏宏 牧師(埼玉和光教会)
マタイによる福音書4:18-22
イエスは、「神の国の福音」を宣べ伝える最初の働きとして、弟子たちを選ばれました。彼らは、決して世間から評価される地位にある者ではなく、ユダヤ当局から「無学な普通の人」(使徒言行録4章13節)と呼ばれた人たちでした。イエスが最初に弟子にした4人は、ガリラヤ湖で漁をする漁師でした。イエスが彼らに声をかけた時、二人は網を打ちもう二人は網の手入れをしていました。漁師たちの行動は何か特別なことではなく、彼らにとってそれは日常です。ですから、今も私たちが復活されたイエスに出会うのに、何か特別に準備をしたりする必要はないのです。普通の日常生活の場で、イエスの招きに信頼することによって聖霊を受け、復活者キリストに会うことができるのです。「生活の場でイエスに出会う」ということは、私たちの現実の生活全体(全人生)が捉えられ、新たにされてしまう質の出来事を意味します。日常的に「魚」を獲る彼らに、イエスは「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」(19節)と声をかけます。この言葉は、「だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」(11章28節)にも使われており、イエスの招きが困難で苦労の多い歩みというのではなく、常に私たちと同伴し、その歩みに寄り添われることが示唆されています。誰の目にも止まらず、淡々と繰り返される日常の中で、自身の存在価値や使命を見失いそうになる時に、イエスは新しい役割に生きる道に招きます。招かれた私たちが、他者との関わりの中で招く者となりたい。