説教:最上 光宏 牧師
ローマの信徒への手紙11:17-24
神の民であるはずのユダヤ人が、なぜイエス・キリストの福音に躓き、神の救いから離れてしまったのか?ユダヤ人であるパウロにとってこの問題は深い悲しみと痛みを伴う大問題でした。ユダヤ人から排斥されて異邦人への伝道に専念するようになったパウロは、福音が異邦人に受け入れられ進展していくにつれて、いつの日か、ユダヤ人が異邦人の救いに「ねたみ」を覚えて奮起して福音を受け入れるようになり、その結果、ユダヤ人も異邦人も共に救われて「世界の和解」が実現することを夢見たのです。それが「万事を益とされる神」のご計画であると。
パウロはそれを一本のオリーブの木に譬えて語ります。古い元木の一部が切り取られて、そこに接ぎ木された野生のオリーブの枝は、切り取られた元の枝に対して誇ることはできないと。良い実を結ばなければ、その枝もまた切り取られる可能性があるのです。また、元の枝がもう一度元の木につがれることもあるのです。「神の国」においてはユダヤ人も異邦人なく、イエス・キリストにしっかりつながって良い実を結ぶことが求められているのです。主イエスも「ぶどうの木の譬」で言われました。「わたしにつながっていれば、多くの実を結ぶが、実を結ばない枝は、みな取り除かれる」と。ここに神のご計画の「慈しみと厳しさ」(22)があるのです。