説教:小手川 到 牧師
マルコによる福音書 12章1節~12節
人々は主イエスを十字架に架けました。石のようにぶどう園の外に捨てました。しかしその捨てられた石が家全体を支える大切な石、つまり「隅の親石」になったことを詩編118編は告げます。神の不思議な御業です。暴力行為を働く者、権力に執着する者、神の座につこうとする者、そのような罪人は厳しく裁かれ滅びるしかない。それなのに彼らが捨てた石(イエス・キリスト)ゆえに、彼らは赦され生かされた、教会が建てられた。その不思議な神の御業の預言が詩編に記されています。
神の御業は私たちの理解をはるかに超えています。祭司長や律法学者たちは、このときイエスが語るたとえ話を聞いて、自分たちの権威が軽んじられていると感じました。怒りを募らせ、イエスを十字架へと追いやりました。彼らは主の話の本当の意味が理解できなかったのです。なぜなら十字架の時はまだ来ていなかったからです。しかし私たちは理解できるはずです。今朝私たちは主の話を教会で聞いているからです。私たちは知っているのです。捨てられた石というのは隅の親石だということを、主イエスのことだということを。その石を捨てて十字架に追いやったのは、そして赦され生かされたのは、祭司長や律法学者たちであり、周りの群衆であり、私たちでもあったということをです。

