説教:最上 光宏 牧師
ヨハネによる福音書14:6-14
私たちは祈りのたびに、「父なる神さま」とか「天のお父さま」と呼びかけます。なぜ、私たちは神を「父」と呼ぶのでしょうか。ユダヤにおいて「父」は権威と威厳の象徴でした。また「慈父」という言葉もあるように厳しさの中にも慈しみ深い存在でした。そのようなイメージから旧約において神が「父」と呼ばれることがありました。しかし、新約聖書においてイエス・キリストは神を「父」と呼び、自らを「神の子」と証言されたのです。それは神ご自身がイエスを「わたしの愛する子」(マルコ1:9,9:7)と呼びかけたことによるものです。イエス・キリストと神との関係は、ゲッセマネの祈りにおける「アッバ!」という呼びかけにみられるごとく、真の父と子の深い信頼に結ばれたものでした。神はイエス・キリストの父であり、両者は一体なのです。私たち、土くれにも等しい被造物である人間が、どうして創造者なる神を「父」と呼ぶことができるのでしょうか? 真の「神の子」であられるイエス・キリストが、私たちの罪を贖い執り成し、和解の道を開いてくださったからに他なりません。「わたしたちに御父をお示しください」とのフィリポの問いに、主イエスは「わたしを見た者は、父を見たのだ」と言われ、わたしを通して父を知り、父に祈り、父のみもとに行くことが出来ると言われたのです。「天の父よ!」。