毎週の説教メッセージ

off 成し遂げられた

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説教:最上 光宏 牧師

ヨハネによる福音書19:28-30

十字架の上で、主イエスは「渇く」と言われました。これは肉体的な渇きの苦しみを意味するだけではありません。すべての人に「命の水」を与えるために来られたれた主が、十字架の死を通して、ご自身の愛と命のすべてを注ぎ尽くしたという徴でもありました。それが「成し遂げられた」という最期の言葉につながっているのです。主イエスはかつて、サマリヤの女とシカルの井戸で出会われ、「この水を飲む者は誰でもまた渇く、しかしわたしが与える水を飲む者は、決して渇かない。その人の内で泉となり、永遠の命に至る水が湧き出る」と言われました。現代人は殺伐とした砂漠のような時代の中で、みな孤立し渇き切っています。主イエスは、ご自分の愛と命のすべてを私たちに注ぎ尽くして、「渇く」と訴えつつ、息を引き取られたのです。このイエス・キリストの注がれた愛と命こそが、渇き切った私たちの心を癒し潤す唯一の「命の水」なのです。十字架のイエスに差し出された酸いぶどう酒は、渇きを訴える主にさらに渇きの苦痛を与えるものでした。それを受け入れのみ込まれたことは、人間の悪意と罪を我が身に引き受け、自らの死をもってその人を赦される測り知れない主の愛を示すものです。主イエスは、自らの死によって神の御心が「成し遂げられた」と叫んで、父の御許に凱旋されたのです。

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