説教:最上 光宏 牧師
マタイによる福音書6;25-34
子どもの日・花の日を迎えるたびに私は思います。どうしてこの二つの日を同時に祝うのだろうか、と。私なりに思うことは、子どもも花も、イエスさまが特別に愛されたものだからです。イエスさまは、子どもたちが来るといつも喜んで受け入れ祝福され、「だれでも幼子のようにならなければ、神の国に入ることはできない」と言われました。また、野の花を愛され、「野の花を見なさい」と言われました。「働きもせず、紡ぎもしない。しかし、栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる」と。野の花が美しいのは、あれこれと思い悩むことなく、ただ神さまから生かされ、愛されていることを喜び、感謝し、今日の命を精一杯に生きているからです。野の花は、病人や傷ついた人の心を癒し、悩み悲しむ人を慰めます。また人と争ったり、人を憎む心を静め、平和を与えます。野の花を「沈黙の教師、喜びの教師、信頼と服従の教師」と称した人がいます(キェルケゴール)。私たちも、野の花に学びつつ、人々に慰めや喜びを与え、この世に平和をもたらす者になりたいと思います。そのためにも、衣・食・住など目に見えるものに心奪われて、いたずらにあれこれと思い悩むことなく、神の国を祈りつつ待ち望みたいものです。