毎週の説教メッセージ

off わたしをだれと言うか

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説教:最上 光宏 牧師

ルカによる福音書9:18-19

私たちの人生には、大切な問いと答えがあります。「わたしをだれと言うか」との主イエスの問いは、主イエスにとっても、弟子たちにとっても大きな意味を持っていました。その問いのために、主イエスは遠くフィリポ・カイサリアまで出かけ、祈りつつ弟子たちに尋ねたのです。最初の問いは「群集は、わたしを誰というか」でした。弟子たちは、口々に群集の意見を伝えました。ひとの意見は自由に言えるものです。責任がないからです。「それではあなたがたは、誰というか」と問い返された時、弟子たちは一瞬、戸惑い沈黙したのではないかと思います。信仰の告白には、主体的な責任が伴うのです。「神からのメシアです」。ペトロが弟子を代表して答えたとき、主イエスは、だれにも話さないように命じ、ご自分の受難の予告をされたのです。イエスは「神からのメシア」として、いよいよ十字架の苦難の道を歩む時が来た、と悟られたのです。「あなたはわたしを誰というか」。十字架と復活の主は、今も私たちにそのように問いかけているのです。イエスを「主」と告白ことは、イエス以外の如何なる人間も(天皇も首相も)主(絶対者)ではないことを意味します。周囲の人の意見に振り回されず、常に十字架を負って主に従い、身をもって、主の問いに答える者でありたいと願います。

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