毎週の説教メッセージ

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説教:加藤 久幸 牧師

ヨハネによる福音書7:32-39

今日の後半の物語(37~39節)を、群衆のある人々はどのように受けとめたのだろうかという思いで、味わいたいと思います。「祭りの最も盛大に祝われる日に、イエスは立ち上がって大声で言われた」(37節)。この祭りは「仮庵の祭」(7:2)と呼ばれます。仮庵の祭も、農耕歴の由来にイスラエルの信仰が重ねられています。
イエスの「渇いている人はだれでも」という招きに耳傾けたい。詩編22:16に「口は渇いて素焼きのかけらとなり 舌は上顎(うわあご)にはり付く。あなたはわたしを塵と死の中に打ち捨てられる」とあります。どのくらい渇くのか。かの地(荒野)の経験者はこう語ります。「(日常生活備品の素焼きに)水をかけると、たちまち吸い込んでしまう。また少しかける。すーっと吸い込んで、土器の表面は再びもとの白茶けた色。まるで渇いた空気の中で、土器も喉の渇きを訴えているようだ」。イスラエルの人々は、カナンの地に定着し農耕を学びましたが、荒野の「渇き」を忘れさることはなかった。若い時に私の渇いた魂は、渇いた舌や喉が水を求めるように、まだ見ぬ神を求め、イエスとの対話と交わりに安らぎと求めようしました。
イエスは、エルサレムやイスラエルが中心になるより、渇いている人を招きました。そして、霊や水といった象徴的な表現を示し、力を与えました。今この時も、求める者に力が与えられ、この世界を恵みで潤してください。お祈りいたしましょう。

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