毎週の説教メッセージ

off キリストが開いた自由と責任

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説教:加藤 久幸 牧師

ローマの信徒への手紙14:10-23

ここでは「独善」が背景にあります。ユダヤ人キリスト者の中には、律法の食物規定を遵守すべきと考えた者もいるでしょう。かたや、異邦人キリスト者の中には、他宗教との付き合い上から異教の神や女神にささげられた肉や(ぶどう)酒を飲むことは偶像礼拝かと案じる者もいたことでしょう。また、今日の17節にあるように「神の国は、飲み食いではなく、聖霊によって与えられる義と平和と喜びなのだ」と主張できる者もいたでしょう。これは全くの正論であり、強く主張できる内容でもあります。パウロはこの正論に立つ者だと想いますが、パウロはどの主張がより正しいかというような議論をしていません。心砕いていることは、教会の「義と平和と喜び」です。…自分の自由を振りかざして、隣人の自由を損なうことのないように、私たちは自らの自由をコントロールしなければならないのです。それが今日の内容であり、別の言葉で言えばキリスト者の責任(応答)ということになるかと思います。10節に「わたしたちは皆、神の裁きの座の前に立つのです」とあります。その裁きは、私たちが救いにあずかるに値するか否かの裁きではなく、キリストにより与えられ生と行動において自由な応答へと招かれる者になったということです。「キリストに仕える人は、神に喜ばれ、人々に信頼され…平和や互いの向上に役立つことを追い求めようではありませんか」(18-19節)。

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