毎週の説教メッセージ

off 憐れんでください

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説教:加藤 久幸 牧師

使徒言行録9:36-43

タビタの死を悼む女性たちは、「この先どうなるのか…」という思いであったと想います。やもめたち(39節)は、貧しく、社会の底辺におり、彼女らを誰も保護し代弁してくれません。そういう彼女たちに命を捧げたのが、タビタでした。一緒にいたときに作ってくれた数々の下着や上着を見せながら、彼女たちが泣いている様は、まさにタビタという女性の歩みが何であったのかという、証しです。現代で云う作業所のようなもののリーダーを、タビタがしていたのでしょうか。しかし、タビタの死により、その働きもタビタの死と共に終わる…。万事窮すと思えたが、全てはタビタの死で終わったわけではありませんでした。38節の「弟子たち」が誰を指すかは不明ですが、動きの中心にいるのは女性たちであると想います。彼女たちの様が、「弟子たち」を動かし、人を派遣し、ペトロを招き動かします。さらに言えば、タビタは「婦人の弟子」(36節)と言われています。このヤッファの町には、イエス・キリストの名前(存在)以外に望みと力をもつことができなかった人々がいたのです。言葉を失い、かける言葉もない…。しかし、これらの人々に「言葉」は臨みます。その傍らに立ち「言葉」を呼び求めるところに「言葉」は臨むのです。そして「言葉」は現状を変えるのです。この物語(前の物語を含む)は唐突に登場しますが、「(神の)言葉」の突入がなければ私たちは生き得ない者であると、私たちを立ち上がらせます。

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