毎週の説教メッセージ

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説教:加藤 久幸 牧師

マタイによる福音書16:13-28

18節「教会を建てる」―(十字架・復活も経ず、歴史的に教会がまだ成立していないのに)イエスが「教会」を語るのはおかしいのではないかと疑問に感ずる方もおられるでしょう。17-19節は、並行箇所のマルコ8:27-30には出てきません。この箇所がマタイの付加であることを覚えつつ、次の物語(21-28節)を見ていきましょう。いきなり受難(・復活)予告が始まります。この箇所は未来形で、しかも「必ず…なければならない(must)」「その必要がある」と表現されています。イエスは何を「打ち明け(示され)始められた」(マルコでは「教え始められた」)のでしょうか。このイエスに、ペトロはその「必要」は「あってはならない」といさめ始めました。「サタンよ、引き下がれ」(23)。これは、私と神の間にではなく、私の後に従い、私に学びなさいというニュアンスでしょうか。この後、24-26節に「弟子であること」に関する言説が続きます。失われた命(魂)を取り戻すために、誰が諸勢力・邪な力と闘っているのでしょうか。その願いを抱き、自らが払う値に重きを置かず、神に近づいていったイエスを想います。イエスの道行には「不思議」がいっぱいです。イエスは、復活・未来を示し、現在・受難を歩まれました。それは、「自己喪失」ではなく「自己確証」しつつ、神の示しに柔軟に・しなやかに従っていったように伝わってきます。その先に、イエスに従う新たな民(「教会」)の誕生が「期待」されています…。

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