毎週の説教メッセージ

off 起きなさい。恐れることはない。

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説教:加藤 久幸 牧師

マタイによる福音書17:1-13

この物語は、イエスを神顕現としては伝えてはいません…。厳密にいうなら、「神の子」の顕現、メシアとしての顕現であるのかも…。イエスの顔が「太陽のように輝き」(2節)と出てきますが、これは「正しい人々はその父の国(天の国)で太陽のように輝く」(13:43)の前触れのように感じます。イエスは人間にあらざるものではなく、万物の目標となるような「変貌を遂げる人間」として示されているように想われます(ヘブライ書2:10)。ここでは、イエスは何も言わないし何もしない…。このイエスの受動性は神顕現という事態には相応しくない…。積極性を示すのはペトロです。彼が言う「三つの仮小屋」の意味ははっきりしません。モーセもエリヤも(伝承では)「天的」な存在であり、仮小屋と訳されている言葉はかつて神がイスラエルのただ中に住まわれた荒野の「幕屋」を示します。類推すると、ペトロの言動は、とんちんかんのようにも響きますが、「天的」な存在、「栄光」のイエスと長く留まりたいという思いで満ちています。それは、告白後にイエスから正された、あのペトロの姿です(16:22-23)。この時、雲の中から声が聞こえます。「これは、わたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け」(5節)。ペトロの人間の声は、この「神顕現」により沈黙させられます。受難(・復活)予告後ですので、イエスはこの道を行くメシアとして愛され、(受洗時にはなかった)「これに聞け」と弟子たちは示されるのです。

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