毎週の説教メッセージ

off 神の子なら

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説教:加藤 輝勢子 牧師

マタイ27:32-56

イエスはピラトに、祭司長、律法学者、長老たち、通りかかりの民衆に「十字架につけろ」とののしられました。祭りごとの囚人の釈放の時もイエスを十字架につけたいだけで、「バラバ」を釈放しました。その場を通りかかったキレネ人シモンはイエスの代わりに十字架を背負って歩きました。十字架につけられたイエスに「ユダヤ人の王イエスである」と罪状書きがあります。「神殿を打ち倒し、三日で建てる者、神の子なら、自分を救ってみろ。そして、十字架から降りて来い」とののしられ、一緒に十字架にかけられた強盗二人にもののしられます。昼の12時に全地は暗くなり、それが3時まで続き、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と叫んで、イエスは息を引き取ります。自分を苦しめ、釘打ち、ののしった人間にあたるのではなく、どんな時も神にのみ語りかけるのです。私はピラトや祭司長、律法学者、通りかかった民衆を責めることができるでしょうか。私も無責任に同調していることが多々あります。讃美歌21の306番「あなたもそこにいたのか」で、私もそこにいました。「神の子なら」してみろと言わんばかりに。苦しい時、どうしようもない時、イエスの十字架を遠くから見守ることしかできなかった婦人たちですが、その後遺体を受け取り、墓に埋葬することができました。受難週を覚えて、自分の十字架を背負ってイエスに従いましょう。

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