毎週の説教メッセージ

off 墓は空だった

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説教:加藤 久幸 牧師

マタイによる福音書28:11-15

「墓は空だった」という事実について、(信仰者とは)別の証言があります。それが、今日の聖書の箇所です。15節に「この話は、今日に至る(マタイが福音書を書く頃)までユダヤ人の間に広まっている」とあり、この噂は絶えることがなかったのでしょう。しかし、噂は噂であります。マタイ27:62—66も参考にしつつ、今日の物語を読むと実に怪しい。そして何が真実なのかわからなくなる…。

聖書は、自らの理解の範囲を超えた出来事に遭遇する時、信仰者もそうでない者も、そこに起こっている事柄に向き合うことの大切さを、指し示しているのではないでしょうか。見える世界や理解できる事柄のみの注視ではなく、[そこで]何が起こっているのかを(出来事から)聞く必要がある! 信仰者の表現でいうなら、神が何をなされたのかに向き合い、聞く必要がある! 私たちの共感福音書では、「墓は空だった」ということと、もう一つ共通することがあります。それは(各福音書により微妙に表現は違いますが)、天使から「あの方はここにはおられない」「復活なさったのだ」と聞かされることです。マタイは何を受けとめたのか。28:16-20を参照・熟読すると、復活のイエスをどう受けとめるかは大事なことですが、弟子たち(私たち)は、地上の歩みを成され、準備された道へと歩まれたイエスに導かれ、メシア(と神と聖霊)を信じるようになる「出来事」「物語」を聞くのです。

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