毎週の説教メッセージ

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説教:加藤 久幸 牧師

使徒言行録9:26-31

26節、「サウロはエルサレムに着き、弟子の仲間に加わろうとしたが、皆は彼を弟子だとは信じないで恐れた」。バルナバは、サウロを使徒たちのところへ連れていき、彼の回心の次第・主の臨在・彼の宣教について説明しました(27)。その結果、サウロは、エルサレムで使徒たちと自由に行き来し、主の名によって恐れずに教えるようになった(28)というのです。しかし、ユダヤ人たちは彼を殺そうとねらい、教会の人たちは彼をタルソスへ出発させました(29-30)。

パウロはキリストに召され歩み始め、彼は迫害する者から迫害される者となりました。パウロは、自ら苦難や迫害を受けることを通して、主イエスの受難・十字架の意味を深く味わい知ることになり、その福音を宣教していきました。

キリスト者であること、教会であり続けるということは、神の関心との出会いの始まりでしょうか。神が関与されなかったならば、私たちは避けたであろう問題があります。パウロは迫害をする側でいたかもしれませんが、パウロは主イエスを知り迫害を受ける者となったのです。私たち教会は、十字架に架けられた方と結びついて、この世にあって苦しみを受けている者に「自らを開き」、共に「受けよう」とするのではないでしょうか。キリストを信じることは苦しみを知るということを伴っていると、私たちは心穏やかに告白できるのではないでしょうか。

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