毎週の説教メッセージ

off 憐れみの器として

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説教:加藤 輝勢子 牧師

ローマ9:19-28

パウロは「焼き物師は同じ粘土から、一つを貴いことに用いる器に、一つを貴くないことに用いる器に造る権限があるのではないか」(21)と言います。「主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形作り、その鼻に息を吹き入れられた。人はこうして生きる者になった(創2.7)」を想起しますが、人はあくまでも神から造られた者であります。ここでは焼き物師と命のない土の器の関係でありますが、むしろ神による被造物はその存在だけでも神の力をあらわすものであり、一方的な神からの働きかけを与えられていることを示しています。 人間と神との関係は、人間が「息を吹き入れ」られた器であることであり、その息は単なる生物的な命だけではなく、神からの息吹、神からの使命でもあり、選びでもあると思います。

イエスは差別されている者、排除されている者のところに近づき、いや、その中に入って、共に生きています。現代に生きる私たちもまた、神から息を吹き入れられ、神からの使命を受けて、「憐れみの器」として、今、いわれのない差別を受けている人、生きづらさを覚えている人、排除されている人、自然災害で被災された方、病と闘っている方と共に歩むことができれば、そして神の栄光をあらわすものとなることができればと願う者です。

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