先週の説教:加藤 久幸 牧師
コ リントの信徒への手紙①1:10-17
今日の聖書の冒頭(10)、この手紙の基本的な主題が、いきなり出てきます。コリントでの「争い」(11)は12-13節で示され、13節のパウロの質問が現実を浮かびあがらせ始めます。「パウロがあなたがたのために十字架につけられたのですか。あなたがたはパウロの名によって洗礼を受けたのですか」。ここでパウロは、キリストが教会の唯一の土台であり、「主は一人、信仰は一つ、洗礼は一つ」(エフェソ4:5)という言葉を念頭に置いていると想います。14節でパウロは「…洗礼を授けなかったことを、わたしは神に感謝しています」と、不思議な(興味深い)ことを語ります[関連して16節の補足も]。当時、コリントの教会は、会堂を持たず、家の教会として分かれていた…。そして、その家の集会ごとに、洗礼を授けた人も違い、12節の発言にも影響を与えていたのかもしれません。この課題に、パウロはどう対応したのでしょうか。17節「キリストがわたしを遣わされたのは、洗礼を授けるためではなく、福音を告げ知らせるため」である。さらに言えば、パウロにあっては、「典礼」を行うことや「神学」を展開することは2次的なことであり、最も重要なことは「福音を告げ知らせる」ことであった。コリントの教会は、キリストの出来事を土台として,エンパシー(共感)を求め、教会のかたちを整え歩んでいる途上にあったと想います。