毎週の説教メッセージ

off アブラムは主を信じた

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説教:加藤 久幸 牧師

創世記15:1-18a

アブラムが75歳の時(創世記12:4)、主が彼に臨み、「父の家を離れてわたしが示す地に行きなさい。…祝福の源となるように」(12:1-2)と語りました。アブラムは、この主の言葉(約束)を信じ出発しました。しかし、アブラムには、約束された土地も、財産を引き継ぐ子孫も、(いまだ)与えられません。それが、今日の聖書の背景にある状況です。今日の1-6節は、①1節:主の言葉(約束)、②2-3節:アブラムの抗議、③4-5節:主の応答、④6節:アブラムの受容という構造をもっています。

この箇所の全体に関わることとして、1)激しい議論・応酬があるが現実は何も変わっていないこと、2)アブラムは屈服せず自由に語り主も強制せずに大胆に語ること、そして3)は、前半①②と後半③④が同じ展開でありながらアブラムの態度が抗議から受容へ変化することです。この変化はどうして起こったのか。私たちが想うのは、アブラムはしるしを心に留めながら(いまだ状況は変わっていませんが)彼に臨み語る主の言葉を受容し(再び)信じて歩み出そうとする、彼の「信仰」と[主に対する]行動です。6節の「義」と認められたという「義」は、死・滅びに等しい現実にあっても、神の未来を信頼している生きることです。1—6節と7-21節は互いに関係がない資料と言われ、「約束の成就が遅れている」内容に関連しています。アブラムは繰り返し「新しく創造される者」(Ⅱコリ5:17-18)として旅を続けます。

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