毎週の説教メッセージ

off 主は心によって見る

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説教:加藤 輝勢子 牧師

サムエル記上16章1‐13節

成長したサムエルはイスラエルの人々に「預言者として信頼になる人」(サムエル記上3;20)でした。しかし、年老いて二人の息子にイスラエルの裁きを行わせましたが、息子たちは不正な利益で裁きを行ったため、イスラエルの長老たちは「我々のために裁きを行う王を立ててください」と申し入れ、サムエルは王を立てるということは王が権力を得て、人々を苦しめる結果になると示しますが、人々は王を求め、主も「彼らの王を立てなさい」と言い、王が立てられました。

最初の王としてサウルが立てられます。サウルはペリシテ人に戦いを挑み勝利を得ます。もともと謙遜だったサウルでしたが、戦いを重ねるうちに次第に傲慢になり、自分のために碑を建てました。そのことをサムエルは大変悔い、主の言葉を受けてベツレヘムのエッサイのところに行きます。主が告げる者に油注ぐためですが、容姿や背の高さで判断しようとした時、主は「人間が見るようには見ない。主は心によって見る」と言われ、エッサイの末の子ダビデに油注ぎました。サムエル、サウル、ダビデにしても主の霊が働いて、最初は立派ですが、年を重ねると主の道に外れます。しかし、サムエル記はありのままの姿を伝えます。主はそこで切り捨てるのではなく、忍耐をもって待ち、もう一度主の働きへと招きます。アドベントを迎えるこの時、私たちの心に主を迎える準備をしましょう。

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