毎週の説教メッセージ

off イエスの洗礼

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説教:加藤 輝勢子 牧師

マルコによる福音書1:9-11

イエスの洗礼については、マルコ福音書ではイエスの身分と権威を証ししています。イエスの洗礼の時、水の中から上がろうとした時、天が裂けてとありますが、イエスの死に際して、「神の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けた」15:38)と同じ語が使われています。「霊が鳩のように降って来るのをご覧になった」や「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」ということは、イエスだけに向けられているのです。ここでイエスは自分が何ものかであることを知ることになります。他の者は、イエスの語ることに耳を傾け、行うことをよく見ることによって真理を見出さなければならないのです。イエスの死を見守る百人隊長が「本当にこの人は神の子だった」(15:39)というようにです。

福音書の洗礼という言葉を使っている場面は3つあります。1.ヨルダン川です。これはイエスの受洗です。2.「わたしが飲む杯を飲み、わたしが受ける洗礼を受けることができるか」(10:38)では、「自分に死んで、神の復活の命によって生きる」ことです。3.「全世界に行って、…」(16:15-16)では、洗礼を授けなさいといいます。

洗礼は自分が神に従って生きるという表明だと思います。洗礼を受けた者としてキリスト・イエスに結ばれた歩み(ガラテア3:26)をしましょう。

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