毎週の説教メッセージ

off 種まきのたとえ

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説教:加藤 久幸 牧師

マルコによる福音書4:1-9

今日の譬え話は、共観福音書のすべてに出てきます。しかも、その文体や内容から、この話は、イエスに由来すると言われています[譬えを、実際に読み語る]。

私は、イエスが「種まき」のたとえを語ったこと、すなわち「神の国」の到来を「種まき」のたとえとして語ったのであろうと受けとめて、思い巡らします。イエスは地のすべてに(人が不毛と思う所にも)、実りの時・喜びの時が来るように、種を蒔かれます。地の上では様々なことがありますが、命を内に秘める「種」(み言葉)の可能性・地の未来を、抑えることはできません。イエスの譬え話は、イザヤ書55:11を連想させます(「わたしの口から出るわたしの言葉も…わたしの望むことを成し遂げ わたしが与えた使命を必ず果たす」。) この譬えは、種(み言葉)が育つ・展開していく様に、注目させます。そして、この展開との関係で取り挙げたいのが、4:26—29の(神の国を譬えた)おのずと育つ種の譬えです。土に蒔かれた種は、ひとりでに実を結び、実が熟すと、収穫の時が来る(26—29)。同様に、み言葉とその内にある命は、大地・世界で伝えられ聞かれると、不思議な仕方で育ち、人間の思いや働きを越えて広がり、やがて神ご自身が喜ぶ時を迎えます…。神の支配の接近は、神の不思議な業として行われ、その成就は、神の、賜物として、奇跡として、結実として、私たちは、見ることになるのでしょう…。

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