毎週の説教メッセージ

off わたしたちはどのような者になりうるのか

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説教:加藤 久幸 牧師

マルコによる福音書3:20-35

身内たちも学者たちも、イエスを認めず、イエスのことを「あの男は」(21,22)という評判で動いているように、想います。そして、イエスたちの交わりに対して、学者たちは「遠まきにし」(23節参照)、身内たちは「外に立」っています(31)。この身内たちの態度に対して、イエスは、「わたしの母、わたしの兄弟とはだれか」と答え(33)、34節で「周りに座っている人々を見回して」…「ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる」と応じました。〔私たちは、通常、自分のために生きます。〕イエスは、神と隣人のために徹底して生きます。普通考えれば、その姿は「常軌を逸しています」。今日のイエスの「見回して言われた」(34)、「御心を行う人こそ」(35)との言葉は、その時に周りにいた人たちはもちろん、外に立つ学者たちや身内たちにも、そして、後の初代教会や私たちにも、警告と招き、励ましの語りかけになっているのではないでしょうか。働いてくださる神の聖霊を信じぜよ、と。

私たちは、神を想い、イエスは何者かと、問います。しかし、今日の物語で、イエスは、人々の判断を正し、「あなたがた(わたしたち)がどのような者になりうるのか」ということを、示してくださっているように想います。「神の御心を行う人こそ…」という招きは、各々の立場や判断を越える広い約束であり、神の家族にされ共に歩むことが赦されます。御心の実現を願い歩んでいきましょう。

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