毎週の説教メッセージ

off 荒れ野を経て、福音が現われる

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説教:加藤 久幸 牧師

マルコによる福音書1:12-15

マルコの荒れ野の物語は「誘惑」と言うより、「試練」の物語と考えられます。マルコでは、サタンがイエスを離れたとは語りませんし、天使たちもずっと一緒にいます。この状況は、この後のイエスの公けの活動においても、変わらず続きます。マルコは、この後も、イエスが悪霊や諸力と闘っていることを、伝えます。イエスの「試練」は、神の「愛する子」「心に適う者」(14)との宣言の後、その使命を生きる・全うするための「試練」であり「歩み」であったと想います。このようなイエスの登場をマルコは、14節で、イエスは来て…宣べ伝えたと語ります。14節の「ヨハネが捕らえられた後」と「ガリラヤへ行き」という言葉は、現実の重い様相を連想させ、イエスの福音・宣教は「試練」の只中で始まり展開されたということを、受けとめざるを得ません。15節、イエスが福音を宣べ伝え歩まれる時、神の国は迫ってきます(神の支配は突入してきます)。そういう意味で、「時は満ちた」のです。今日の場面では、イエスに従う者はまだ登場しませんが、彼は「悔い改めて(生き改めて)福音を信じなさい」と招いてくださいます。イエスの「福音を信じる」ということのみが、求められています。新約聖書、ヨハネ黙示録では、イエスを賛美することが悪・諸力と闘うことであり、神の誉れ(勝利)を証しすると、語られています。私たちが試練を経験する時も、私たちも主に仕えるものでありたいと願います(13節参照)。

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