説教:加藤 久幸 牧師
マルコによる福音書16:1-8
マルコ福音書の構成は、本体が1:16-15:47で、それにプロローグ(1:1-15)とエピローグ(16:1-8)が付いていると、言われることがあります。今日の聖書で、女性たちが墓の中に入ると、「白い衣を着た若者」(御使い)が「あの方は復活なさって、ここにはおられない…『あの方は、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』」と告げなさい(5-7)と託されます。しかし、女性たちは墓を出て行き、「震え上がり、正気を失」い、「だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである」(8)。マルコ13:9-13は、「恐れ」「沈黙」していた人々がその後どうしたかを暗示しているように想えます。また13:21-23には、「偽メシアや偽預言者」(22)が出てきますが、それは、弟子たち自身がかつて考えていた「偉く…一番上に…仕えられるため」(10:43-45)という、彼ら自身のメシアの理解と同じであるかと想います。しかし、女性たちも、弟子たちも、やがて(時が来て)、復活のイエスに会い、「聖霊」(13:11)を信じ、「わたし(イエス)の名のために…最後まで耐え忍ぶ者は救われる」(13:13)存在になっていったのだと、想わされます。紹介した13章の段落の結びの23節にも、「あなたがたは気をつけていなさい。一切の事を前もって言っておく」と出て来るのは印象的です。
イエスの予告は各々の現場(ガリラヤ)で実現していきます。祈りましょう。