毎週の説教メッセージ

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説教:加藤 久幸 牧師

ヨハネによる福音書15:1-11

1節「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である」。2節農夫(神)は「豊かに実を結ぶように手入れをなさ」れ、「実を結ばない枝は…取り除かれる」と、イエスは語ります。ここでは、明らかに、農夫のぶどう作りの剪定作業が、譬えとして語られています。実りを得るためには、剪定作業は必須で、3節の「清く」も元々は剪定由来の言葉と考えられます。「枝が、木につながっていなければ、実を結ぶことができない」(4)のです。剪定作業の譬話をベース(基底)にしながら、5節「人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば…」以降の「つながって」は寓喩・喩えとして語られているようです。弟子たちとイエスの「つながって」は、3節にあるように「わたし(イエス)の話した言葉よって、あなたがたは既に清くなっている」。さらに7節で、「あなたがたはわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたの内にいつもあるならば…」と、より明確に「つながって」という約束を表現しています。6節の言葉に目を留めましょう。「つながって」と聞くと、人間の努力や選択を問うているように考えるかもしれませんが、5節後半にあるように「わたし(イエス)を離れては…何もでき」ず、人間が実を結ぶのは、神の力により、その力は(人間の内側にあるのではなく)イエスによりもたらされます。6節は終末時・未来を示します。私たちは「つながっていなさい」(4)に生きましょう。

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