毎週の説教メッセージ

off 見ても見えず、聞いても理解できない

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説教:加藤 輝勢子 牧師

ルカ福音書8:4-15

「種まく人」のたとえ話は、聞いている人にとって分かりやすいお話です。ただ状況が理解できても、それは「どんな意味か」と問わずにはおられません。イエスはイザヤ章6章を引用しました。イザヤが召命を受けて、神の言葉を語っても、神の民は拒否します。自分たちにとって命である神の言葉を聞いても理解せず、預言者イザヤが遣わされてもその意味を悟らない現実は、イザヤを失意に落としました。「見ても見えず、聞いても理解できない」現実を明らかにするために遣わされたことをイザヤは確信します。民の状況は違っても、イエスもまたそのことを感じていたのでしょう。イエスは「聞く耳のある者は聞きなさい」と大声で言われました。道端であり、石地であり、茨のある土地であり、良い土地であるということが固定されているものであるなら、イエスの言葉は私たちの現実をつまびらかにするものでしかありません。イエスは聞く耳を持てと言われました。そうすると乾ききった道端を耕すことに、石地の石をあるいは茨を取り除くことにならないでしょうか。聞く姿勢(心)を整えることが、無自覚に聞いていれば実を結ばなかった種が、豊かに結ぶことになるのです。イエスの語る言葉を前屈みになって聞き、主を信頼し委ねる人、求め、願い、言葉を聞きに来た人にはさらに与えられるのです。自分の与えられた場所で主の言葉を求めましょう。

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