毎週の説教メッセージ

off 時を移さず、夜に出発して

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説教:加藤 久幸 牧師

ルカによる福音書24:13-35

二人の弟子たちに、イエスが後ろから来て、「一緒に歩き始め」ました(15)。「しかし、二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった」(16)。イエスは二人が話していた「その話は何のことですか」(17,19も)と尋ねると、二人は「ナザレのイエスのことです…」と語り始めました。この二人の話(19-24)は、イエスの福音の要約と言えるでしょう。しかしその話には、復活のイエスのことは含まれていません。私たちがある出来事について知る機会は、3度あると言われます。それは、⓵事前の時(事柄が起こる前)、⓶その事柄が起こっている時、そして⓷その事柄の経験を思い出す時、です。イエスの受難・復活を「分かる」(31,16)ということも、まさに、この過程を辿るのでしょう。主イエスは、ある意味、客人であり(私たちは「主イエスよ、来てください」と祈り)、と同時に、主イエスは、人々と食事・現実を共にしてくださる、主人でもあります。私たちは、このことを祈り、今この時の現実を生きています。聖書の二人は、エルサレムから逃れるように夕暮れの道を歩んでいました。迫る夜は、当時の人々には神から遠い時と考え、恐れられていました。しかし二人は、「時を移さず[夜に]出発して、エルサレムに戻って」(33)行きます。それは、今もなお絶望と不安の中にいる兄弟姉妹たちがいるからです。二人は、「主イエスは生きている」という復活のイエスの喜びを伝えるため、夜に行動を起こし、逃げ出してきたエルサレムに戻っていきます。教会は、今も、この「経験」を、主を求める人たちに、伝えています。

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