毎週の説教メッセージ

off わたしはある

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説教:加藤 久幸 牧師

ヨハネによる福音書8:21-36

今日は8:21-30で説教をします。ヨハネ福音書の全体に言えることですが、二つの時間[の座]で語られていることに、注目します。一つはイエスが在世中であり、もう一つはヨハネ福音書が編まれた時代です。福音書の冒頭は、厳しい対立を、暗示させます。「言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった」(1:4-5)。今日の聖書の少し前、イエスは、「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ」(12)と語りました。そして、「わたしをお遣わしになった方は真実であり、わたしはその方から聞いたことを、世に向かって語って話している」(26)と続けます。しかし、ユダヤ人たちは、「イエスが御父について話しておられたことを悟らなかった」(27)。そこで、イエスは、「あなたたちは人の子を上げたときに初めて『わたしはある』ということ、また、わたしが、自分勝手には何もせず、ただ、父に教えられたとおりに話していることが分かるだろう」(28)と、お話になりました。ここでは、イエスを処罰することで、自らに罪を招くことが語られているように、思われます。そして、神に遣わされた者としてのイエスの自覚が、29-30節に現われています。「わたしをお遣わしになった方は、わたしは共にいてくださる。わたしをひとりにしてはおかれない。わたしは、いつもこの方の御心を行うからである」。「わたしはある」という方がイエスを遣わし共に生きるようにしてくださったことを感謝し歩みましょう。

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