説教:加藤 久幸 牧師
使徒言行録2:42-47
「すべての人に恐れが生じた。使徒たちによって多くの不思議な業としるしが行われていたのである。信者たちは皆一つになって、すべてのものを共有にし、財産や持ち物を売り、おのおのの必要に応じて、皆がそれを分け合った」(43-45)。これは、現代的に考えれば「共産制」と言えるのかもしれませんが、注目したいのは、「不思議な業としるし」を生み出す交わりがあり、そこには喜びと真心があった、ということです。私たちは、[旧約]聖書からも、主の平和や貧しさのない福音・約束を、聞いています。8月4日の説教で、私は「神の約束の到来は、イエスの到来と共に始まり、『迫りつつ』あります…」と、述べました。「すべてのものを共有」するという形・結果に、こだわる必要はないと思います。敢えていうなら、「共有」を達成しようとする計画により格差や差別が生まれるのであれば、強いてやる必要はない…。それよりも、「不思議な業としるし」を生み出す交わりに心砕いているか、「主の御声・戒め」に絶えず立ち直ろうとしているかが、問題になります。今日の聖書は、キリスト者にとって、教会の活動は、私たちが考えるような他の活動に替わるものではなく、「必要なことは ただ一つだけである」(ルカ10:42)と、示しているように想います。今日の聖書は、それを、「彼らは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった」(42)と指し示しています。私たちは、神とイエスに忠実であるよう、熱心であるよう、招かれています。このことを覚えたいものです。