説教:加藤 久幸 牧師
使徒言行録3:1-10
いつものように、「ペトロとヨハネが午後三時の祈りの時に神殿に登って行った」(1)。2-3節に登場する男は、生まれながら足が不自由で、誰かに運んでもらい、施しを乞うことでしか、日々の生活ができない有様でした。社会も、そして、この男自身も、「駄目な人間」と「あきらめていた」のかもしれません…。「ペトロは…『わたしたちを見なさい』と言った。その男が、何かをもらえると思って二人を見つめていると、ペトロは言った。『わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ちあがり、歩きなさい』」(4-6)。この男は、生きるためには「施し」、金銭が全てと、考えていたのではないでしょうか。そのような状況を察し、ペトロ[たち]は「金や銀はない」と応えたのでしょう。ペトロたち自身の、イエスの十字架の時の「駄目な人間」から、今立って生きるに至った転換が、きっと背景にあることでしょう…。ペトロたちは、今回、この男に関わりました。男は「施し」を願ったのですが、「救い」がもたらされました…。ペトロたちは、イエス・キリストの名が呼ばれるところ、そこに復活の主が臨まれると信じて、歩みました。この男も、それまで無縁と考えていたかも知れませんが、神に呼ばれ、イエスに招かれていると、受け入れたのでしょう…。天に生きて働いている主と、地の人々の歩みが、「イエス・キリストの名によって」(6)結びつけられ、力が解き放たれました。それは、大きな「しるし」となりました(9-10)。