説教:加藤 久幸 牧師
マタイによる福音書2:1-12
今日の聖書の結び(12)を読む度に、東からの人々が道を見失ったりすることがあったとしても「確かなものを求める」歩みを続けていったのだと、私は思わずにはおれません。今日の説教題を「最初のキリスト教の礼拝」と記しましたが、羊飼いたちの行動(ルカ2:1-20)が最初のキリスト教の礼拝ではないかと、お感じになる方々もおられるでしょう。私は、次のような点で、今日の聖書の出来事がキリスト教の最古の礼拝であると感じています。聖書は、神さまの子どもとして生まれた方(確かなもの)を、人々が探し求め、賛美し、献げ物をしていると、伝えます。礼拝をすることは誰もが招かれているものだと信じ受けとめますが、今日の聖書では、(ユダヤ人という枠を超えて)東から来た人々・外国人が礼拝をしていることが象徴的です。また今日の聖書では、確かなものを求める人々を神は「別の道」(12)へと導いていかれる(参考「この道に従う者」(使徒言行録9:2))と、描いています。これらのことを想像しながら、私たちも、自分たちが最初の礼拝へと歩み出したことを思い出したい。気がついた時には礼拝の中にいたとか、ずっと昔のことなので忘れてしまったという方もおられるでしょう。しかし、私たちが自覚するしないにかかわらず、主を求める人々の群れの中で、最初の礼拝に導かれた出来事から、今の私たちに繋がっています。そして、これからの日々、私たちは、全ての人が招かれている礼拝を自覚して、歩みたいものだと思います。