説教:加藤 久幸 牧師
イザヤ書7:10-14
今日は降誕前第1主日です。預言者イザヤは、政治状況ではなく、イスラエルを導き治める正体(実体)に関心があるかのようです。イザヤは、アハズが立つかどうかに、関心を寄せています。あなた(アハズ)が主に信頼を寄せるならば、「主なるあなたの神に、しるしを求めよ」(11)と、告げます。しかし、アハズは、「わたしは求めない。主を試すようなことはしない」(12、参考 申命記6:16)と、敬虔を装い、その責任を回避します。そこで、「ダビデの家よ聞け」(13)と、責任をとらない王を抱くダビデ王権に、「審判」が告げられます。「それゆえ、わたしの主が御自らあなたたちにしるしを与えられる。見よ、おとめが身ごもって、男の子を産みその名をインマヌエルと呼ぶ」(14)。この「男の子」「インマヌエル」とは誰なのでしょうか。イザヤ書は直接語ってはいませんが、ある注解は、アハズの息子のヒゼキヤであろうという方向を示唆しています。今日の聖書を、信じないアハズに代わって新しい(神を信ずる)指導者・王への交替が告げられていると、解釈するのです。アハズの息子ヒゼキヤの評価は列王記下18:1-8にありますが、そこには、「彼(ヒゼキヤ)はイスラエルの神、主に依り頼んだ。その後ユダのすべての王の中で彼のような王はなく、また彼の前にもなかった」(5)と記されています。私たちは、その歴史や聖書の預言を踏まえつつ、クリスマスに、主のしるしの招きを受けています。私たちも、「インマヌエル」とはどういうことなのか、確かめ、歩み出したいものです。か、どういう様なのか、イエスが来られたことを、受けとめます。そして、私たちも、クリスマスに、主のしるしの招きを受けています。か、どういう招きなのかを受けイエス・キリストを指し示すという方向に傾いているかと、想われます。