説教:加藤 久幸 牧師
使徒言行録11:19-30
「迫害のために散らされた人々は…フェニキア、キプロス、アンティオキアまで行った」(19)。そして、広く使われていたギリシア語を話す人々に語りかけ、「主イエスについて福音を告げ知らせた」(20)。新たに誕生したキリスト教はエルサレム教会の指導下にありましたが、ローマ社会のアンティオキアに生まれた教会も、エルサレム教会からの問安を受けることになりました(22)。派遣されたバルナバは…教会の有様を見て喜び、「固い決意をもって主から離れることのないようにと、皆に勧め」ました(23)。そして、バルナバは、「サウロ(パウロ)を捜しにタルソスへ行き…見つけ出してアンティオキアに連れ帰[り]…二人は、丸一年の間 そこの教会に一緒にいて多くの人を教えた」(25-26)というのです。[サウロ(パウロ)がなぜ指導者として選ばれたのか、バルナバの権限は?、私たちの想像を刺激することは幾つもあります。] さらに、27-30節は、アンティオキア教会について、別の要素を与えれてくれます。問安を受ける教会が、飢饉の機会に、エルサレム教会を支える奉仕をしたことです。
アンティオキア教会の成立は、ある町に集まりが誕生したという意味だけでなく、初めてのキリスト教の「教会」が誕生したということを、意味しています(26参考)。それは、ペンテコステの時に語られた、「この約束は…神である主が招いてくださる者ならだれにでも、与えられている」(2:39)が、実現したのです。その教会は、「神の恵みが与えられた有様」(11:23)をなしていたと、言えるのではないでしょうか。