説教:加藤 輝勢子 牧師
使徒言行録12:1-25
ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺して、教会を迫害しているヘロデ王は、イエス誕生の際、身の不安を感じて2歳以下の男子を殺したヘロデ王の孫にあたるヘロデ・アグリッパ一世です。このヘロデ王はヤコブを殺したことで、ユダヤ人たちに喜びを与えたことに気をよくして、使徒たちの筆頭格であるペトロも捕らえました。そして過越祭の後に民衆の前に引き出し、処分しようと牢に入れて、厳重に兵士をつけて見張っていました。そのころ「教会は彼のために熱心な祈りを神にささげていた」(5)のです。一方のペトロは、二人の兵士の間で寝ていた時、天使が現れて、ペトロを起こし牢から出し、町に通じる鉄の門を過ぎ通りまで来て、天使が離れ去った時、ペトロは我にかえりました。「今、初めて本当のことが分かった。…わたしを救い出してくださったのだ」(11)。ペトロは教会の仲間のところへ行きました。熱心に祈っていた人たちは、取り次いだ女中の言葉を「あなたは気が変になっているのだ」(15)といいます。ペトロの救いのために熱心に祈っていても、その祈りが聞き入れられるなどと想定はしていないのです。でもペトロの姿を見て喜びました。 ヘロデは、兵士を死刑にし、カイサリアで住民に神と持ち上げられた瞬間、主の天使に撃ち倒されました。このコントラストは教会に何を語っているのでしょうか。「祈り」は神に頼ることです。自分は無力だからこそ神に祈るのです。私たちの祈りが神の御旨のままにと祈ることができる歩みをしましょう。