毎週の説教メッセージ

off 仕えるために

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説教:加藤 久幸 牧師

マタイによる福音書20:20-28

イエスの三度目の受難・復活予告(20:17-19)の後、「ゼベダイの息子たちの母が…息子と一緒に…来て」(20)願い出ます。イエスは、母ではなく、弟子たちに対し、「あなたがたは…わたしが飲もうとしている杯を飲むことができるか」(22)と尋ねます。「二人が、『できます』と言うと」(22)、イエスは、「確かに、あなたがたはわたしの杯を飲むことになる。しかし、わたしの右と左にだれが座るかは…わたしの父によって…」と(23)、言われました。すると、「ほかの十人の者は これを聞いて、この二人の兄弟のことで 腹を立て」(24)始めました。弟子たちは、イエスが「イスラエルのために国を建て直す」(使徒言行録1:6)ことを、期待していたことは疑い得ないでしょう。そして、神の国において自分が大事な役割を果たすことも…。しかし、弟子たちの願いは、[苦難の]杯を受けるというより、[栄光の]杯を受けるということに、傾斜していたのでしょう。イエスは、弟子たちの願いを非難するのではなく、その代価・使命を指摘します。それは、弟子たちがやがて民・教会を導くことに対して、たとえ無理解や裏切りの弱さがあったとしても、イエスは、ご自身の歩みに従い僕となることを願います。「イエスは、一同を呼び寄せて言われた。『…あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、皆の僕になりなさい。人の子は…仕えるために…自分の命を献げるために来た…』」(25-28)。イエスは、人は仕えるために生まれると、明らかにされたのです。

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