毎週の説教メッセージ

off 共に歩まれる主、キリスト

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 説教:最上 光宏 牧師

ルカによる福音書24:13-35

 エマオは、エルサレムの西12キロほど下ったところにある寒村です。イエスが十字架で亡くなられた3日目の夕方、その村に向かって、無名の2人の弟子がとぼとぼと歩いていました。夕陽に向かってゆるやかな坂道を下る彼らの姿はいかにも寂しげです。彼らは婦人たちが、イエスの墓が空であったと話していたのに信じられず、虚しさと挫折感を抱えて郷里に帰ろうとしていたのです。それは現実からの逃避の旅でもあったのです。そこに復活された主が現れ、彼らとともに歩み、かれらの悩みに耳を傾け、聖書のことばを説き明かされたのです。しかし彼らの心は悲しみと憂いに閉ざされていて、それが主イエスであることに気付かなかったのです。彼らがその方を復活の主と悟ったのは、夕食の席でその方がパンを裂き、祝福の祈りを捧げて手渡された時でした。彼らは5千人の供食や最後の晩餐においてなされた主の所作を思い出したのです。 私たちの人生も、沈み行く夕日(落暉)に向かってとぼとぼと坂道を下るようなものです。私たちの心が、悲しみや憂い、世の思い煩いにとらわれている限り、共に歩んでくださる主を認めることはできません。私たちは、礼拝におけるみ言葉の説教と聖餐を通して、生ける主と出会ことによって、日々の生活の中においても、主が常に共に歩んでいてくださることを覚えのです。

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