説教:最上 光宏 牧師
コリントの信徒への手紙②12:1-10
人間が人間らしく生きていくためには、「誇り」が必要です。しかし、誇りが強すぎると、高慢になり、ひとを侮るようになります。ギリシャ人は知恵を誇ったため、十字架のキリストを「愚か」とみなし躓きました。パウロは「自分自身の弱さを誇ろう」と言います。弱さは、誇りとはならず、誰にも知られたくない恥の部分です。彼にとっての弱さは、癲癇のような発作を伴う病でした。かれはそれを「身に突き刺さったとげ」と呼び、「サタンの使い」とも呼んで、離れ去らせてくださいと何度も主に祈り続けたのです。自分の苦痛だけではなく、伝道上の大きな妨げにもなっていると思われたからです。神はその祈りに応えて「わたしの恵みはあなたに十分である」と言われたのです。病は治らず、祈りは聴かれなかったかのように思われました。しかしパウロは、その弱さの中にこそ、神の恵みの力が働いていたことを悟ったのです。その弱さの中でこそ、謙遜に主に祈り、主イエスの十字架の恵みを深く知ることが出来たからです。河野進という牧師の詩に「病まなければ」というのがあります。「病まなければ、捧げ得ない祈りがある。病まなければ信じ得ない奇跡がある。病まなければ聴き得ないみ言葉がある。病まなければ近づき得ない聖所がある。…」という詩です。万事を益とされる神は、弱さの中に働き、強さに変えてくださるのです。弱さをバネにして生きよう!