毎週の説教メッセージ

off 執り成す人がいない

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説教:加藤 久幸 牧師

イザヤ書59:9-20

第3イザヤは、平和・回復への歩みを願っていましたが、国の荒廃,社会の解体へと進む失望の中で、今日の預言を語り伝えます。①9-11節で、心からの嘆きを神に叫び、②12-13節で、荒廃した共同体・社会を、神の赦しに向かって開かれたものとするため、預言者も共に罪の告白をして社会的連帯を示すのです。
しかし国を荒廃させ共同体を解体させる者たちは、自分たちこそが「神の注目と恵みに値する」(社会的に成功した者である)と主張する「大胆さ」を持っていたようです。このような状況の中で、預言者はどのように振る舞えばよいのでしょう。第3イザヤは、天上に訴え、③15b—20節の約束と希望を明確にします。ここには、苦難と迫害の時期に現れる、終末的・黙示的な表現が見られます。強調点は、政治的社会的構造への関与から、神の支配への直接的な道を切望することへと、移っていきます。黙示は、(容赦ない悪と苦難によって)危機にある者たちの「避難」の形ですが、同時に、全ての国が神の支配を認め平和の歩みを導入する「終わりの日」に向けた幻の告知でもあります。「執り成す人がいない」にもかかわらず、「主の恵みの御業」が成されると、宣言するのです(16節)。イザヤ書59章も、「憐れみ深い裁き主」というリアリティにより、悪が諸力を奮っていても裁き主(贖う方)の存在を告げることによって、抑圧された者の希望を新たにしていきます。

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