毎週の説教メッセージ

off 『風』が起こり、響いた

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説教:加藤 久幸 牧師

使徒言行録2:1-11

私は、この一年の歩みを経て、使徒たちは不安と希望の入り混じった中で(聖霊降臨を)待っていたと、とりわけ強く感じるようになりました(1:3-5参照)。ルカは「エルサレムで」と指示しますが、地名はともかく、使徒たちはイエスから「生きなさい」と示された現場で、待ち続けたのです。先ほど紹介した1:3-5は私たちの姿をも示しているように想います。聖霊降臨は、待つことを通して、実現されました。そして聖霊降臨は、一瞬で終わった出来事ではなく、継続・歩み・物語の中で受け取られるべきものです。使徒たちは、イエスの歩み・活動を、自分事(じぶんごと)として受けとめ、語り始めました。聖霊が語らせる(4節)「福音」は、一言で言えば「和解の言葉」です。このことは、共有できる言葉で語り出した展開(6—11)、その後に続くペトロの説教「…わたしの霊をすべての人に注ぐ…若者は幻を見,老人は夢を見る…」(17)とも、関連しています。聖霊は「目」にはみえませんが、私たちの内と外において働きます。最初のペンテコステにおいても、人々の間には一致はありません(6-13)。現代においても、世界の至るところで、分断と対立が深まっています。秩序と調和、平和と一致の創造は、聖霊と深く関連づけられ、古くから「聖霊よ、来てください」と、祈り続けられています。聖霊は、人々を整え、世界を整え、終わりの時まで御心を推進し完成へと導く、不思議な「力」です。

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