毎週の説教メッセージ

off 天と地の礼拝において

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説教:加藤 久幸 牧師

ヨハネの黙示録7:2-4,9-12

今日の場面は、6つの封印が開かれた後(6:1-17)、第7の封印が開かれ、いよいよ終末が来ると、予感されるところです。しかし私たちが、黙示録を通して見るのは、終末ではなく、教会・礼拝です。「刻印」を受けた者(7:2-4)は、「地と海とを損なう」嵐(7:1-3)やいなごの災い(9:3-4)、またどんな迫害や試練が襲ってきても、その渦中で守られると示されます。私たちは、力ある者が小さくなる、屠られ犠牲になった者が世界を救うということを、受けとめ信じることができるでしょうか。黙示録は、「ユダ族から出た獅子」(5:5)が天上の礼拝で「屠られたような小羊」(5:6)となり、神の計画である巻物を開くことができる唯一の方であると示します。聖書の十四万四千人(7:4)は象徴的な数字で、人間の想像を絶する数えきれない人数を示します。従来の黙示は、終わりの時に救われるのは少数であると示しますが、ヨハネ黙示録では、明らかに対照をなしています。残るのは、神に敵対する者たちだけです。黙示録の著者ヨハネは、主の日に一人でいます(1:9-10)。ヨハネは、今度は、視点を地から天への移し、天で行われている歓喜の礼拝を見ます(7:9-12)。この礼拝は、終わりの戦いが終わり、神の計画が完成することを、前もって祝うような様を伝えます。黙示録における終わりはまだ先のことですが、大雑把にいうと、神に敵対し戦いを挑む者は、その力や誇示によって、まるで自滅するかのように描かれます。不思議ですが、アーメン(その通り)だと思います。

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