毎週の説教メッセージ

off 王を迎える喜び

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説教:加藤 輝勢子 牧師

サムエル記下5:1-5

イスラエルの民は何故王を求めたのでしょうか。それは預言者サムエルの息子たちが神の神意を伝えなくなり、不正な利益を求めて、賄賂を取って裁きを曲げたり、ほかのすべての国々のように、目に見える形の強い王を求めたからです。しかし、サウル王は神の言葉を聞かず、富に目を奪われ、それを神に捧げるためだと言い訳をしました。サウルの追手から逃げていたダビデはサウルを殺す機会を得たが、上着の裾だけを切り、その行為すら後悔しました。サウルは神から油注がれたものであるからです。ダビデは油注がれた者の背後にはっきりと神を見ていました。しかし、ダビデは決して完全な王ではありませんでした。ウリヤの妻バト・シェバを姦淫し、夫ウリヤを激しい戦場に送り、殺しています。「ダビデは三十歳で王となり、四十年間王位にあった」(5:4)その間息子アムノンが異母妹タマルを犯し、タマルの兄アブサロムがアムノンを暗殺等、正しく裁くことができませんでした。しかし、ダビデの最も素晴らしい点は罪のどん底で真実に悔い改めたことであり、赦されるはずのない罪を赦された喜びを讃美に歌い上げたことでありました。ダビデは心からの悔い改め、王としての自分ではなく、神の前に立つ一人の罪人に戻れ、神の憐れみの恵みに生かされました。彼の歩みに学び、主イエスを迎える準備をしましょう。

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