毎週の説教メッセージ

off 苦しめられていた者たちを集める

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説教:加藤 久幸 牧師

ゼファニヤ書3:14-20

今日の聖書は、残りの者への希望(3:9-13)とエルサレムの回復(3:14-20)が宣べられます。先週の説教で、私は、過ちが自分の側にあることを認めるのは屈辱的なことであり、自らの誇りがそれを許さないと述べました。ゼファニヤ書は、この人間の誇りを扱います。私たちは、「終わりの時(神の救いの時)」の預言などは現代においても「未だ」実現していないと、読むのではないでしょうか。ゼファニヤの預言は、神の未来について驚くべき「きらめき」を放っています。その時、「イスラエルの残りの者」には「不正」「偽り」「欺く」がなく「養われて憩い…脅かす者はない」(3:13)と示します。現実のエルサレムは[アッシリアの都であった]ニネベ(2:13)のようであったが、「その日には」(3:11)へりくだりの中で神と共にある「充足」を味わいます。この新しいエルサレムは、ヨハネ黙示録の都・世界を、暗示させます。「聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために 着飾った花嫁のように 用意を整えて、神のもとを離れ、天から下ってくる」(21:2)に響き合います。新しいエルサレムが全きものとなるとき、世界・全地も全きものとなり、神の恵み深い目的がついに完成します。今日の預言を、イエス・キリストの出現と彼によって始まる「終わりの時(神の救いの時)」を重ねて味わうと、み言が指しこんできます。「主はあなたのただ中におられ 救いをもたらす勇者である」(17,新訳)。主との交わりを求め、苦しめられている者を、主は集めると言われます(18)。アーメン。

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