説教:加藤 久幸 牧師
ガラテヤ書6:1-10
今日の聖書は3つに分かれます。➀1-5節。パウロの反対者たちは、洗礼による聖霊体験により、旧来の規則や生活習慣からの自由を与えられたと、自覚していました。しかるに、彼らは、信仰に入る者・洗礼を受ける者に、割礼と律法遵守を求めました。このダブル・スタンダード(2つの基準)が、共同体に不和と混乱をもたらしました。パウロは、「“霊”に導かれて生きている あなたがた」という複数形で呼びかけ(1節前半)、「あなた自身も誘惑されないように、自分に気をつけなさい」と単数形で、注意深く勧めています(1節後半)。「だれかが…何かの罪に陥ったのなら」(1)ば、その人は困っており、助けを必要としています。「正しい道に立ち帰」り(1)は、処罰ではなく、回復を意味しています。審判を求めるのではなく、審判はキリストが既に受けられ、私たちは贖われています。3-5節は、私たちに、人の自己満足と自惚れは、恩着せがましい高慢を生み、他人の欠点ばかりに気を配り、自分自身の欠点には気付かなくなりがちであると、振り返らせます。➁は➂の7-10節に橋渡しをし、➂の7節でパウロは、善を行うことに倦み疲れない根拠を、公平な審判者・終わりの日の審判者がイエスご自身であることに置き、「今、時のある間に、すべての人に対して…善を行ないましょう」(10)と、勧めます。この善は、「互いに重荷を負いなさい」(2)と示し行ってくださった「キリストの律法」(2)に誠実であり謙虚であったのかを問い、証しします。